ANALOGな人って?

LPの音の魅力を熟知しているLP愛好家の宿命として、CDの音への潜在的な不満があります。そもそも、このハイレゾ時代に何かと手間のかかるLPを聴く理由としては、サンプリング化されたデジタルの音になんらかの抵抗感を覚えた為に、再びLPに回帰したという方もおられると思われますし、最近「LP回帰」といった現象も見られますが、そういった事が原因ではないでしょうか。実は弊社のLP販売もそういった素朴な疑問から出発しました。

CDの黎明期にはデジタル録音のLPも多く登場し混沌とした時期が1980年台の前半には存在しましたが、その後、LPは完全に淘汰されてしまいました。それと同時にCD作成に携わる技師等の耳も次第にデジタル録音向きに変化していったような気がします。

ただ、アナログ録音の耳の感覚を十分に保った技師によってデジタル録音が行なわれ、アナログの雰囲気を保とうとした優秀な録音がリリースされていた時期もCDの最初期には存在したと思われ、その多くがフィリップスレーベルに見られるます。
実際デジタル録音を音源としたLPでは聴き取ることができなかった魅力が、(もっとも、デジタル音源のLPという製品自体には、中古LP市場での希少価値といった価値基準は別の話として、無理があるとは言える。)CDによって初めて発見されることもあります。

弊社では、1980年台のデジタル録音(アナログ録音のリマスタリングでは無い、純粋なデジタル録音)を、ANALOGな人のクラシックCDとしてご紹介します。「ANALOGな人」とは、レコード愛好家である私たち聴き手でもあり、また、当時の演奏家、技術者、レコード会社を含めた作り手でもあります。

録音の時代背景

一般には、CD初期には技術、経験不足等の為、イマイチの製品が多く、年代を経る毎に良くなってきているとも言われますが、恐らくそれはデジタルの音としての進歩であって、レコード針とビニール盤が接触して振動することから生み出される音の呼吸感とは違う世界の話のような気がします。それは、時代が要求した音質の違いというのも背景にあるのでしょう。

例えば同じカラヤン指揮の音源でも、戦後、ナチス党員であったことを理由に受けた演奏停止処分が解けた直後のウィーンフィルとの悲愴の録音と、カラヤンの6回目の録音では、カラヤン自身、オーケストラの演奏手法、録音技術、技術者の耳、レコード会社の販売方針、政治状況、民衆が求める音楽、など全てが異なる訳ですので、そもそも、現代の技術者が、当時の音源について何らかの手を加えること自体が不可能な事と言えます。

また、上記「ANALOGな人のクラシックCD」でご紹介している同じ1980年台のデジタル録音でさえ、1980年初期と後期では、例えば、ブレンデルの弾くピアノの残響の作り手による「聴かせ方」は異なってきており、1990年台に入ると「別のもの」となります。それだけ、作り手の「耳」の変化は、デジタル時代に入って一気に加速したようにも思えます。

実際、CDの製作は、LPとの比較をしていたわけではなく、デジタル音源製品における音の表現方法の追求ですので、デジタルならばデジタルとしての音の模索であると思われますし、実際、SACDや現在のハイレゾなど幾多の「新アイデア」が登場しています。
そういう意味では、デジタル録音というものは、かなり高度な技術と音楽的素養が求められるでしょうし、サンプリングを極めた最新のデジタル録音はアナログ録音を超えたと表現されることも理解はできますが、そもそも、アナログ時代の時代背景を持ち合わせていない現代では、あまり意味のある話では無いと思えます。